ブルーベリー(制作中)


ブルーベリー(途中)


庭に実ったブルーベリーを描いてみたいと思います。









Date: 2017.08.18 Category: Watercolor 3 Comments (0) Trackbacks (0)

8月15日 終戦記念日


ひまわり01
ひまわり02






地図 
The history of war in Japan


敗戦まで



一九二〇年から一九三〇年代、世界が恐慌と動揺の時代へと突入すると、日本の指導者たちは、アジアの市場と資源を支配するため、ますます熱狂的な努力を傾け、世界の混乱に対処しようとして、かえってみずから世界の混乱を助長していった。「大日本帝国」はまるで怪獣の姿をした染みのように拡大していった。
(日本で使われた地図では、日本帝国は赤く色づけされるのが常であった)。
一九三一年、日本は満州を奪取し、一九三七年には中国への全面侵略にのりだし、一九四一年には、真珠湾を攻撃した。これはアジアと太平洋の南方へと支配権を広げる戦略の一環であった。
一九四二年頭、日本の拡大は頂点に達した。このとき日本は、太平洋の真中に足をふんばり、中国本土の奥深くにもう一方の足を突っ込んだ、アジアにまたがる巨人のようであった。
北はアリューシャン列島から、南は東南アジアの西洋列強の植民地までつかみとっていた。
日本の「大東亜共栄圏」は、おおまかにいえば、オランダ領東インド、フランス領インドシナ、イギリス領ビルマ、マラヤ、香港、そしてアメリカ領フィリピンにまで及んでいた。
その後はさらに、インド、オーストラリア、ハワイにまで手を延ばすのではないかと言われたほどであった。
天皇の聖戦の栄光と、忠勇なる陸海軍兵の不敗をたたえるバンザイの叫びは、国の内外の無数の地で天を衝いた。


詩人が、僧侶が、そして宣伝屋たちが、こぞって「大和民族」の優秀さと、偉大なる皇軍を誉めたたえた。
大東亜共栄圏とは、一頭のキメラ(ギリシャ神話の怪物)にほかならなかった。
太平洋戦争がはじまってから半年の幸福感は、夢の中でみる夢にすぎず、まもなく日本人自身がこの熱狂を「勝ち病」とみなすようになり、しだいに夢から醒めていった。
日本人は乱暴の限りをつくしたが、中国人の抵抗力がいかに柔軟であるか、合衆国が長期の戦闘で発揮する精神的・物質的な底力がどんなものかについて、ひどい誤算をおかしていた。
同時に日本人は、自分たちが作り出した戦争のためのレトリック —これは聖戦だ、不名誉よりも死を、戦死者たちの血の犠牲に報いよ、天皇を中心とする国体は不滅だ「暴戻(ぼうれい)支那」をはねかえし、「鬼畜米英」を踏みとどませる決戦はちかいぞ—
こうした表現に酔い、みずからその虜になった。
ドイツナチズムのニュルンベルク法(血統優越思想)と同じく、指導者は国民を侵略戦争へ誘導する意図のもとに、神道の教理並に信仰を歪曲して、軍国主義・過激な国家主義的宣伝に利用した。そうした有害なイデオロギーの中には、天皇が「家系、血統或いは特殊な起源」のゆえに他国の指導者よりも優れており、日本国民もまた他国民よりも優れているとする信仰も含まれていた。
天皇は大元師であったにもかかわらず、軍閥者流の横行を制止できなかった。天皇は家長のように自分の臣民を「赤子(せきし)」と呼んでいたが、その彼らを統制を失っていることが明らかな陸海軍に従軍させて死にいたらしめた。
日本の敗戦が疑いないものになって以降も、天皇を含む日本の指導者たちは長い間、降伏を考える能力さえ失っていた。


中国との全面戦争がはじまって間もなく起こった南京大虐殺から、太平洋戦争の末期のマニラの蛮行にいたるまで、皇軍兵士たちは表現しがたいほどの残酷と略奪の跡を残した。のちに知られたことであるが、日本兵たちは同僚の肉を食べていた。日本兵は絶望的な自殺的突撃をおこなって戦死し、戦場で餓死し、傷ついた自軍の兵が敵の手におちるよりもむしろ殺害するほうを選び、サイパンや沖縄のような場所では、非戦闘員の同国人を殺した。日本人は、自分の街が焼夷弾で破壊されるのを、なすすべもなく見守った。また、大本営が戦況と、空襲の被害に対して偽りの報道を国民に流し続け、有効な疎開はついぞ行われなかった。その間指導者たちは「一億玉砕」がいかに必要かについて、あれこれ説きつづけた。
広島・長崎への原爆投下以降も、指導者たちは日本の降伏に否定的であった。非戦闘員も最後の最後まで戦い、「玉砕」して死ぬのだと教え込まれた。本土決戦大東亜共栄圏のもっとも明確な遺産は、死と破壊であった。中国だけでおそらく一五〇〇万人が死んだ。
約三〇〇万人の日本人が死んだ。
傷をうけたり重病になった者はさらに多く、国土は瓦礫となった。


一九四五年、日本が降伏した時点ですでに、日本人の過半数は栄養失調であった。
食料不足は真珠湾攻撃以前から顕著化し、一九四四年ころには田畑で収穫前の作物を盗むことが新種の犯罪として登場し、同年大阪府は管轄内で発生した経済犯罪の四六%が食料がらみであったと発表した。
東南アジアと太平洋の戦場では、餓死が兵士の死因の第一位であった。
日本本土じたい、基本的な食糧を、朝鮮、中国に依存していた。
真珠湾攻撃の前の時点で、日本人が消費する米の三一%、砂糖の九二%、大豆の五八%塩の四五%がこれらの地域からの輸入に頼っていた。日本の敗北によって、こうした食糧の供給は、突然、断たれることになった。
敗戦後、国内では一〇〇〇人以上が餓死したとされる。





Date: 2017.08.15 Category: 立憲主義は政治的でせうか Comments (0) Trackbacks (0)

桃(制作中)

桃(途中8/13)








8/12 朝日
『戦後72年夏 戦死と向き合う』


大日本帝国の軍の過半数は餓死である。

南方から、マラリアにかかって運良く帰国した方のご家族の体験を聴いたことがある。
骨と皮で、座ることもできなかったという。水もない中、夜間は多くの死体の上を歩いて移動したという。

「我々兵隊は何を言っても通じないですよ。人間扱いされなかったのだから」
「南の島に捨てられに行ったようなもの」
体験者の言葉は、何度見聴きしても重い。


一方、当時この戦争を支持した、大臣であった岸信介はどうか。

「一九二〇年に岸信介は東京大学法学部を卒業し、農務省に入った。二六年には最初の米訪問。四一年には商工大臣として、戦争を積極的に支持した。四四年には戦局不利とみて東条追い出しを策し、戦後は戦犯として巣鴨に三年を過ごした。その間、床掃除をし、西洋の本をよみ、詩をつくった、と。そして、その詩の一つを英訳で引用する。英訳からもう一度訳しなおせば、「わが名を犠牲にしても、後世に伝えたいのは、日本が正義の聖戦をやったということだ」というのである。」(『言葉と戦車を見すえて』加藤周一)


岸信介が詩に書いた「正義の聖戦をやった日本」とは、戦争中の宣伝屋たちが宣伝した「日本」である。それは、歴史の特定の時期の、それもひどい時代の「日本」であり、自国中心の政治的イデオロギーの色彩を帯びた「日本」である。
森喜郎元首相が、日本は世界のほかの国や文化と違って、「天皇を中心とする神の国」だという国際的に大きな誤解を招きかねない悪名高いスピーチをおこなった。
彼もまた、岸信介と同じ、戦争中の「日本」の亡霊の中に居る。

(続く)






Date: 2017.08.14 Category: 立憲主義は政治的でせうか Comments (0) Trackbacks (0)

『731部隊の真実』


731部隊3


731/2


731部隊



8月13日、NHKスペシャルで『731部隊の真実』が放送された。
(音楽/羽毛田丈史)

概要は知っていたが、裁判での肉声による証言や、当時14歳で部隊に派遣された方の証言は、衝撃的だった。

生きた人間を、一ヶ月多い時には600人集め、実験材料として強制収容。中には子どもを連れた女性も含まれていたという。
丸刈りにし、「マルタ」と呼び、チフス菌やコレラ菌に感染させ、零下の野外で杭に縛り付け、凍傷を作る実験。死んだひとはそのまま、治療し生き残ったひとは、死に至るまで、別の実験の材料にされた。
日本のメディアは、中国人を「匪賊」として、憎悪を煽り、731部隊はその後、細菌兵器の実戦使用に踏み切る。
複数の都市上空で菌を散布、地上は地獄となった。民間人にも感染を広げる目的で、菌を注射した饅頭を3000人の捕虜に食べさせた後、解放させたりもした。

アウシュビッツと同じく、ここでもエリートと呼ばれる医学会の権威が、1936年、京都大学、東京大学、慶応大学などから集められる。最大3000人。実験は「防衛目的のため」と嘯かれて始められ、政府から大学学部長に、多額の実験費が与えられていた。科学者が、戦争を残酷化してきた歴史。

敗戦後の東京裁判では実験資料をアメリカに引き渡すのと引き換えに、彼らは罪に問われなかった。

ナチスドイツのユダヤ人強制収容所でも、ガスかまどで虐殺するのと同時に、生きた人間を氷水に漬けたり、解剖手術したりする凄まじい実験は行われた。
非人道的行為を、実行した人びとの友人の手記を読むと、「家族思いで、虫が歩いていれば避けるような性格」であるとか、ごく普通の人間であることが窺える。

少年兵として、証拠隠滅に死体処理をさせられた方の証言。
「口には出せないです。かわいそうだとか思っても」「口に出せば、非国民とやられちゃう、そういう一般的な風潮」
「一人で泣きましたよ、ああ、これが戦争かと。戦争ってのは絶対するもんじゃないと」




https://ja.wikipedia.org/wiki/731部隊




Date: 2017.08.14 Category: 立憲主義は政治的でせうか Comments (0) Trackbacks (0)

おぎれとおなしの妹



スイカ 7/23
スイカ/




おぎれ 8/5/2
おぎれ/



おぎれ 8/5







つりがね8/9
sprinkler/



おぎれ、一週間の間に、少しずつ首の傷が塞がってきた。





おぎれ 8/12/2/





おなしの妹 8/12/2




おなしの妹 8/12



近所の田中家で出産したおなしの妹。
抱き上げると、おっぱいが濡れている。






おぎれ 8/12/3









Date: 2017.08.12 Category: 木星の端に座って Diary    Comments (0) Trackbacks (0)

まくわ瓜


まくわ 8/9
Waterford/F6









Date: 2017.08.11 Category: Watercolor 3 Comments (0) Trackbacks (0)

Italiana 2  大阪環状線



オル 6/17 スーツケース2
Osaka - Amsterdam - Mu Catania





オル 6/17 関空2




オル 6/17 関空



新大阪−大阪−天王寺−日根野、フィリピンの子の隣に、中国へ帰る子が乗って来た。





オル 6/17 新大阪後ろの席
後ろの席/




オル 6/17 保険
AU保険カウンター/



オル 6/17 関空研修生
研修生/


Immigration に下りる途中、エレベーターを振り返る。
両腕と首に刺青のあるベッカムに似たお兄ちゃんと目がちらと合う。

後に、友達になるマイケルよ。











Date: 2017.08.10 Category: SICILY  ORTIGIA マルコと唄う「Darling」 Comments (0) Trackbacks (0)

クチナシ


クチナシ1
クチナシ2
Waterford/F4





鎌猫 8/11
かまねこ/







満月 8/9
満月/


ヒロシマに続き、ナガサキ原爆の日。

戦争体験日記『山河共に涙す』三島佑一著を読む。

焼夷弾落つ消さんとするも爆音に身はすくみいて燃ゆるままなる
姉の活けしあじさいの花みるみるに戦火の中に掻き消されゆく
煤のまま息つかず食う戦火より持ち出せる水漬け大豆のうまさ

真面目な性格で、だからこそ「一億一心」「挙国一致」「八紘一宇」「聖戦」を信じ、(新聞、ラジオ、学校教師がそれを煽った)戦争にのめり込んだ一少年の姿が、歌と日記に浮かび上がる。
家を空襲で失い、父の死も、蠅の飛ぶ地面にむしろを敷いただけのバラックで向かえることになる。
敗戦と戦争裁判を境に、「内部混乱」を起こす心の変化も細やかに記されている。

東条死刑一億の民懺悔して戦勝者の裁きし戦犯を責む
東条さんとあがめたたえし大人たち今呼び捨てにしののしり責むる

「同じ国民を軍閥と一般国民に分断し、後者は被害者であり無罪とすることによって、昨日の友を今日の敵とさせ、代わりに昨日の敵を今日の友としてしまい、天皇は味方に引き込んでおいた方が有利と気づいたから一般国民の側に連れ込んだのである。
そう思えば、われわれは戦犯のみを責める視線を、改めて自分自身の中に向けねばならないのではないか。」

戦争体験者に話を聴くと、沖縄でなくとも、「天皇に責任はあった」と答える方ばかりである。
もしも、日本がもっと早くに敗戦を受け入れておれば、(実際そのチャンスはあった)沖縄戦も原爆投下もなかったのではと思う。
軍部は国体保持のため、国民(当時は臣民)を、飢えに苦しむ数百万に及ぶ兵士を、微塵も顧みなかった。
上から下まで貫かれた「天皇狂」の、頂点である軍部は、ヒロシマナガサキに原爆が投下された後も、まだ「一億玉砕」にこだわった。残った女、老人、子どもは「本土決戦」に備えて、火焰びんを抱いて戦車の下に飛び込むはずであった。

安倍政権は教育勅語を教材として使うことを、肯定している。国民が臣民であった時代を、肯定しているのである。

『裸足のゲン』、『怒り地蔵』、『蛍の墓』など、ぽつりぽつりと思い出す。
こうした、戦争の悲惨さ、実態を描いた多くの作品は、戦後にうまれた。
戦中、日本では作家たちの多くが、軍国主義に迎合し、「ファッシズム」を賛美して文学芸術を荒廃させていったとき、フランスでは多くの詩人が、ドイツ国家社会主義の権力に抵抗し、「ファッシズム」に反対し、人間の自由と品位を主張することにより、文学に新しい生命を吹きこもうとしていた。
佑一青年は、敗戦後に初めて海外の映画・絵画・音楽などの芸術作品に触れ、「世の中にこんなに美しいものがあったのか」と驚く。


ヒロシマ原爆記念館で初めて知ったが、多くの朝鮮人も原爆の、又、敗戦まで行われた昼夜を問わない強制労働の犠牲となった。
世界で最初期の無差別爆撃を行ったのは、日本であるということも、知っておきたい歴史である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/重慶爆撃








Date: 2017.08.09 Category: Sketch 4 Comments (0) Trackbacks (0)
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森島朋子 
Tomoko Morishima
【Shiga, Japan】




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