スケッチ 柘榴 



ザクロ1
ザクロ2
F4/









長谷部さん
Professor Yasuo Hasebe JAPAN NATIONAL PRESS CLUB /



長谷部恭男、 石田勇治 著『ナチスの「手口」と緊急事態条項 』(集英社新書)
が発売中です。

長谷部さんのお話は、日本の現状認識がクリアにわかります。
憲法9条は、条文だけ読むと、絶対平和主義ですが、長谷部さんの解説によると、憲法の立憲主義と、一つの思想である絶対平和主義(何をされても無抵抗)は両立しません。(両立しないという指摘から導かれる現在の結論を確認しているだけで、私は絶対平和主義を否定しているのではありません)
「本当に条文そのままを守っていると、憲法で保障されている、国民の安心安全と幸福追及の権利が守れるかというと、そうではない。だから、“自衛隊”と、自国が攻撃された場合、反撃できる“個別的自衛権”が解釈(合憲である)として許されている」
これが戦後70年間日本が積み重ねてきた憲法解釈です。

自衛隊は改憲せずとも、違憲ではないのです。


この解釈を、70年、歴代内閣法制局と国会は積み重ねて来ました。多くの国民の信も得てきました。


ところが、解釈は個別的自衛権までで、ぎりぎり保つとしてきた9条解釈を、自国が攻撃されていないにもかかわらず、地球の裏側まで(地理的な制限なし)行って、軍事活動を行い、武器弾薬の補給活動まで行うという、
集団的自衛権を、確たる理由のない中(ホルムズ海峡は首相自身が後に否定、母子を乗せた船の例も想定していないとわかった)強行採決されて現在に至る。
この集団的自衛権については、与党側推薦の長谷部さん含む全員が「違憲」であるとしており、
現在も違憲のままです。

ここで自衛隊を加憲するということは、他国(アメリカ合衆国)のために、日本が戦争参加することを、追認することになります。







自民が掲げる改憲案に緊急事態条項があります。




緊急事態条項


報道している局とノータッチの局があり、内容をよく理解されないままに改憲されるおそれのある
大変危険な条文です。






緊急事態条項2




すでに災害時に対応できる「災害対策基本法」、「武力攻撃事態法」などはあるのに、一体何のために作られるのか解らないわりに、人権停止、時の政府に全権委任してしまう、強い効力のある条文です。

上図、三番目の「法律と同じ効果を持つ政令がつくれる」というのは、過去の歴史に実際あったことです。
戦前、日本が「治安維持法」の重罰化(死刑)を、非常事態宣言の下で実現させ、政府に逆らうひと、学者、ジャーナリスト、宗教家は次々に逮捕され、多くのひとを拷問、投獄死させました。当時の植民地でも数万人が検挙されました。
逆に、緊急事態宣言がなければ、治安維持法の濫用もなく、急激な全体主義の下の弾圧も、一般国民を震え上がらせるまでにならなかったかもわかりません。

六番目「衆議院の任期を延長できる」とすると、緊急事態条項が出されている間、国民に対して民意は問えません。
期間も延長すれば無制限です。








紫陽花 11/8













Date: 2017.11.08 Category: 立憲主義は政治的でせうか Comments (0) Trackbacks (0)

秋の実り



無花果 9/26
無花果/Waterford/F6









長谷部恭男 比較不能な価値の迷路
The Labyrinth of Incommensurable Values Studies in Constitutional Law and Liberal Democracy /




長谷部恭男著『比較不能な価値の迷路』。
一読してまったく理解できず、ただもの凄く奥行きのある面白い内容であることはわかった。難しくて面白くない本と、難しくて面白い本があるとすれば、長谷部さんの著書は後者である。
トライして四日目、朗読して読むと、時々詩のようにもなる。

「理性の彼方の軽やかな希望」「比べようのないもの」「囚人のディレンマ状況」「国家のために死ぬことの意味と無意味」「井上達夫教授の疑問」(目次より)——

著者は、人間社会や国家の多様性を認める所から出発し、 “個人がかけがえのないものである”、ということをくり返し冷静に確認し、
だからこそ立憲主義(世の中には色々な考え方のひとがいる、考え方や立場の違いにかかわらず、すべてのひとを個人として尊重する、フェアに扱う、という前提)に基づく法の支配に、意味があるのだということを、論理的な説得力を持って示している。


日本社会はもともと、境界があいまいな社会である。「よき妻」「優秀な従業員」とは、境界なしに頑張るひとのことをさす。日本人の自我は、個人が確立されておらず、外に開かれているということを河合隼雄は指摘した。
(歴史改ざん主義に見られるのは、戦時中の戦争指導部にまで、自我を投影しているということである。
自我が開けているため、大日本帝国にまで自我投影してしまい、戦後民主主義の世代に直接の責任はないのに、侵略の歴史を認められない)

長谷部の著書は、世界と私との関係に「法」というsave lineがあることを気づかせてくれる。
なんとなく、勇気の出る本である。














Date: 2017.11.07 Category: 立憲主義は政治的でせうか Comments (0) Trackbacks (0)

ゆっくり溶けるもの


柿(途中)








長谷部恭男
長谷部恭男著 Yasuo Hasebe, professor/



長谷部教授の著書。伊藤真氏の憲法の本はわかりやすかったが、こちらは近代立憲主義がなぜ創られたのか、歴史や人間・政治哲学までもが広く深く記されている。良い意味で期待を裏切る内容。

例えば、私の周りにも、実際色々な宗教の人がいる。キリスト教、仏教、イスラム教、創価学会員、幸福の科学、等々。
私は無宗教であり、現在の日本人の多くはそうであると思うが、無宗教というのも、世界ではマイノリティーに属する、多数の中の、一つの価値観である。

それぞれの宗派にはそれぞれの価値観、世界観、宇宙観、があり、これらを信じている人にとっては、それを広めることが、善であると考えるのは、また人として、自然なことである。

しかしその結果、血みどろの宗教戦争をくり返して来たヨーロッパの歴史があり、そこに近代立憲主義の必要が生じた。
異なる価値観、多様な考え方を持つ人が「共存」するとき、ある一定のルールを設け、その枠組みに従うことで、公平な政治が実現する。
例えば一つの宗教観の人が自分が大事だと思うことを政治の仕組みや国家の独占する物理的な力を使って、社会の全体に押し及ぼそうとすることは、大きな危険を伴う。

ここで政治のプロセスが適正か「公」と「私」が区分される必要が生ずる。

丸山眞男は、戦前のファシズムがこの立憲主義と反対の、「公的領域」と「私的領域」の切り分けの否定であったことを指摘している。
すべての人の生活領域は、究極の価値の体現者である天皇との近接関係によって一義的に位置づけられた。(天皇を神・頂点としたヒエラルキー)この評価の尺度は、日本を超えて、他の民族、国家にも押し及ぼされる。
つまり、天皇という価値が絶対「善」であり、それ以外が「悪」である。こうした一元的な価値観の元では、人びとはそれ以上のことを考える必要もなく、判断する必要もない。
自らが自由に選択し決断する領域は、天皇を含め誰一人として持ち合わせず、したがって、自らの行動に責任をとる用意は誰一人としてない。
(メディアもこの一元的ファシズム報道によって、国民を戦争に導いた)

ところで伊藤真は「人は一時の多数決であっても、間違いをおかすことがある。だから前もって権力を縛っておく」こうした言葉で憲法の立憲主義を説明した。

多くの批判を浴び続けている自民党の憲法改正草案であるが、96条の「ハードル下げ」がいかに危険であるのか、長谷部教授も指摘している通りである。


世論調査で異様なのは、「憲法改正にあなたは賛成ですか、反対ですか」という質問がある所である。
「民法の改正に賛成ですか、反対ですか」と問われれば、多くの人は「民法はよく知らないし、民法のどの条文をどう変えるのか言ってもらわなければ、答えようがない」と答えるであろう。

ここ数年自民党が進めているのは、この雰囲気としての憲法改正論議である。
「オリンピックを期に」などと、何の関係もないオリンピックを出してきて「期限」があるかの如く設定しているのは、見苦しい。
最初は「国防軍」と案には書き、96条かと思えば引っ込め、次は戦争法案の強行採決、その後、自衛隊を書き加えるという案が突然に浮上した。一貫性はないが、唯一一貫しているのは「日本人の手で」という国粋主義的な理由であること、案を出して行くプロセスが「場当たり的」であるということだけである。(自民党「ほのぼのかぞく」参照)
こうした、今までのプロセス(70年間続けてきた憲法解釈を覆すため方便として使われた「砂川判決合憲論」含む)を振り返るだけでも、現政権に日本国憲法を触る資格はない。
むしろ国民は、現権力側が、憲法を遵守しているか、政教分離が機能しているか、個人としてチェックしなくてはならない。


私個人の意見としては、日米地位協定(日本の首都圏上空はアメリカ空軍の管制下、等)が改善されないまま、アメリカ合衆国からの独立度が低いままでの改憲では、自衛隊と明記した時から、自衛隊はアメリカの二軍になるだけで、再びイラク戦争のようなアメリカの起こす侵略戦争に行かされることが予見される。
その費用と、戦争参加後のテロのリスクは日本国民が負担することになる。
アメリカ合衆国と、日本の国益は別物です。
出撃する飛行機に、燃料や弾薬補給をすることも、安倍首相は「合憲」と強弁しており、
違憲の集団的自衛権(他衛権)と共に憲法改正には反対です。














午後、きれいに三つ編みをしたデヴィーさんが来る。
トマトとパプリカのクリームパスタを作る。

四年間、日本で頑張って働いたデヴィーは、十月の終わり故郷のジャワへ帰ってしまう。

物云えば唇寒しの日本で、異文化の彼女はどれくらい心の支えになったことだろう。言葉が伝わらないことは、不思議に
私を自然体にさせた。
頂いた湯のみにありがとうと書いてある。「Terima kasih ね」と云うと、そうそう、と笑った。

彼女はDEWI の後に、 KARTIKA SULISTIAN〜... という美しい名前を持っていることを初めて教えてくれた。





デビィーさん湯のみ
湯のみ/








Date: 2017.10.27 Category: 立憲主義は政治的でせうか Comments (1) Trackbacks (0)

『立憲』は、国家権力を法の力で縛っておくという、近代国家の憲法基本原則です。

桃と葡萄 8/24





森友(国有地払い下げ問題)・加計問題を煙に巻くため、安倍はまたも憲法を無視して審議をせず、冒頭解散へ踏み切った。
選挙では約600億円もの税金が使われるというのだから、審議のない解散は、まず国民に対してフェアではない。
長谷部恭男・早稲田大教授によると、首相が自由に解散できるという主張が臆面なくなされる日本は、主要先進国の中で例外であるという。

安倍政権下では、とんでもないことばかりが続いてきたが、(武器輸出の解禁、電波停止発言、PKO日報隠し、憲法違反の安保法、教育勅語肯定、共謀罪、等々——ひとつもまともな説明がなされていないのが驚きである——)
これは度を超えているなと感じたことを二つだけ挙げておきたい。


今年八月、小野寺防衛大臣は、北朝鮮が米領グアム周辺に向けて弾道ミサイルを発射した場合、集団的自衛権を行使して迎撃することは、可能であるという見方を示した。

日本が攻撃を受ける、又は受けそうになっているときに攻撃できるのは、個別的自衛権で、これは現行憲法で認められている。
しかし、他国(アメリカ)の戦争に日本が参加する集団的自衛権は憲法に違反しており、強行採決した際も、自・公は新三要件で厳しく縛ってあると説明していたが、これも小野寺防衛大臣のグアム迎撃見解で、いくらでも拡大解釈が可能であることがわかってきた。
集団的自衛権の行使は、危機存立自体である、「国民の生命安全が根底から覆される明白な事態に限って」という約束のはずであったが、
グアム周辺がなぜこの「根底から覆される明白な事態」にあたるのか、国民に対する説明はなかった。

安倍は安保法のとき、「日本が戦争に巻き込まれるなんていうことは絶対にありません」「戦争法案というのはレッテル張り」とくり返していたが、これも嘘であることがわかった。

グアムに飛んできたものを日本が撃ち落とせば、それは日本から専守防衛に終止符を打ち、戦争参加をするということになる。
当然、相手国からすれば、日本本土へ撃ってもよいとする口実ができる。
他国(アメリカ)の武力行使と一体化する恐れが極めて強い。
他衛の武力行使の自・公の云う「限定」などは、最初からない。
こうした自ら参戦する憲法違反の法案を「平和アンゼン法制」という美名でいまだに包んでいるのである。



二つ目は、さかのぼること今年五月の、読売新聞の記者が書いた前川さんの記事である。
加計(かけ)学園の獣医学部新設を巡り、「総理のご意向」と記された文書があったと、勇気を持って証言した、前文部科学事務次官の前川さん。
TV会見で汗を流しながら、前をまっすぐに見て話す前川さんを覚えている。
この文書の存在が表面化したとき、読売新聞は前川さんが在任中に「出会い系バー」に出入りしていたと新聞で大きく報じた。文書があったのか、それを忖度したのかどうかの問題を、前川さんのスキャンダル問題にすり替え、個人攻撃したのである。
私は、このような個人に対する、権力側擁護、「内部告発者の吊るし上げ」とも取れる攻撃を、大手新聞がやってしまったことに戦慄をおぼえた。やってはいけない一線を超えたと思う。

わが国には現在、朝日、毎日、読売という三大紙がある。日経、産経を加えて五大紙と称することもあるらしい。
そこに東京新聞、北海道、京都、熊本、沖縄、などの全国地方紙が加わる。

国家権力が1+1=2であると主張した場合、これをそのまま1+1=2であると報道するのが、ジャーナリズムの仕事なのではない。事実は伝えなければならない。しかし、伝え方にも無限の方法があり、いい日本語、読んで啓発される文章、おもしろい文章、国家権力が私利私欲ではなく、国民のために働いているのかどうかのチェック機能、国民の素顔の声を拾った文章、——そういうもので書かれているかどうかが新聞の生命を決定すると私は考える。

TVに出ているひとの顔、メディアの取り上げ方、全体的に萎縮しすぎである。
海外で日本の報道がどうなっているか、日本の皆さんはご存知か。
安倍は歴史改ざん主義・対米従属として有名になりつつある。
(安保法を日本の国会に出す前に、アメリカ議会で約束してきた、日本国民を後回しにした恥ずべき瞬間。それを海外の新聞は一面トップで報じていました)


日本は過去に国会が機能しなくなり、大手新聞社がこぞって勇ましいスローガン一本槍に国民を戦争へ導いた苦い歴史がある。

言葉と憲法の軽視。それがどこに返ってくるか。
わたしたちに返ってくるのだ。






追記 なぜいま『立憲』か






Date: 2017.10.03 Category: 立憲主義は政治的でせうか Comments (0) Trackbacks (0)

8月15日 終戦記念日


ひまわり01
ひまわり02






地図 
The history of war in Japan


敗戦まで



一九二〇年から一九三〇年代、世界が恐慌と動揺の時代へと突入すると、日本の指導者たちは、アジアの市場と資源を支配するため、ますます熱狂的な努力を傾け、世界の混乱に対処しようとして、かえってみずから世界の混乱を助長していった。「大日本帝国」はまるで怪獣の姿をした染みのように拡大していった。
(日本で使われた地図では、日本帝国は赤く色づけされるのが常であった)。
一九三一年、日本は満州を奪取し、一九三七年には中国への全面侵略にのりだし、一九四一年には、真珠湾を攻撃した。これはアジアと太平洋の南方へと支配権を広げる戦略の一環であった。
一九四二年頭、日本の拡大は頂点に達した。このとき日本は、太平洋の真中に足をふんばり、中国本土の奥深くにもう一方の足を突っ込んだ、アジアにまたがる巨人のようであった。
北はアリューシャン列島から、南は東南アジアの西洋列強の植民地までつかみとっていた。
日本の「大東亜共栄圏」は、おおまかにいえば、オランダ領東インド、フランス領インドシナ、イギリス領ビルマ、マラヤ、香港、そしてアメリカ領フィリピンにまで及んでいた。
その後はさらに、インド、オーストラリア、ハワイにまで手を延ばすのではないかと言われたほどであった。
天皇の聖戦の栄光と、忠勇なる陸海軍兵の不敗をたたえるバンザイの叫びは、国の内外の無数の地で天を衝いた。


詩人が、僧侶が、そして宣伝屋たちが、こぞって「大和民族」の優秀さと、偉大なる皇軍を誉めたたえた。
大東亜共栄圏とは、一頭のキメラ(ギリシャ神話の怪物)にほかならなかった。
太平洋戦争がはじまってから半年の幸福感は、夢の中でみる夢にすぎず、まもなく日本人自身がこの熱狂を「勝ち病」とみなすようになり、しだいに夢から醒めていった。
日本人は乱暴の限りをつくしたが、中国人の抵抗力がいかに柔軟であるか、合衆国が長期の戦闘で発揮する精神的・物質的な底力がどんなものかについて、ひどい誤算をおかしていた。
同時に日本人は、自分たちが作り出した戦争のためのレトリック —これは聖戦だ、不名誉よりも死を、戦死者たちの血の犠牲に報いよ、天皇を中心とする国体は不滅だ「暴戻(ぼうれい)支那」をはねかえし、「鬼畜米英」を踏みとどませる決戦はちかいぞ—
こうした表現に酔い、みずからその虜になった。
ドイツナチズムのニュルンベルク法(血統優越思想)と同じく、指導者は国民を侵略戦争へ誘導する意図のもとに、神道の教理並に信仰を歪曲して、軍国主義・過激な国家主義的宣伝に利用した。そうした有害なイデオロギーの中には、天皇が「家系、血統或いは特殊な起源」のゆえに他国の指導者よりも優れており、日本国民もまた他国民よりも優れているとする信仰も含まれていた。
天皇は大元師であったにもかかわらず、軍閥者流の横行を制止できなかった。天皇は家長のように自分の臣民を「赤子(せきし)」と呼んでいたが、その彼らを統制を失っていることが明らかな陸海軍に従軍させて死にいたらしめた。
日本の敗戦が疑いないものになって以降も、天皇を含む日本の指導者たちは長い間、降伏を考える能力さえ失っていた。


中国との全面戦争がはじまって間もなく起こった南京大虐殺から、太平洋戦争の末期のマニラの蛮行にいたるまで、皇軍兵士たちは表現しがたいほどの残酷と略奪の跡を残した。のちに知られたことであるが、日本兵たちは同僚の肉を食べていた。日本兵は絶望的な自殺的突撃をおこなって戦死し、戦場で餓死し、傷ついた自軍の兵が敵の手におちるよりもむしろ殺害するほうを選び、サイパンや沖縄のような場所では、非戦闘員の同国人を殺した。日本人は、自分の街が焼夷弾で破壊されるのを、なすすべもなく見守った。また、大本営が戦況と、空襲の被害に対して偽りの報道を国民に流し続け、有効な疎開はついぞ行われなかった。その間指導者たちは「一億玉砕」がいかに必要かについて、あれこれ説きつづけた。
広島・長崎への原爆投下以降も、指導者たちは日本の降伏に否定的であった。非戦闘員も最後の最後まで戦い、「玉砕」して死ぬのだと教え込まれた。本土決戦大東亜共栄圏のもっとも明確な遺産は、死と破壊であった。中国だけでおそらく一五〇〇万人が死んだ。
約三〇〇万人の日本人が死んだ。
傷をうけたり重病になった者はさらに多く、国土は瓦礫となった。


一九四五年、日本が降伏した時点ですでに、日本人の過半数は栄養失調であった。
食料不足は真珠湾攻撃以前から顕著化し、一九四四年ころには田畑で収穫前の作物を盗むことが新種の犯罪として登場し、同年大阪府は管轄内で発生した経済犯罪の四六%が食料がらみであったと発表した。
東南アジアと太平洋の戦場では、餓死が兵士の死因の第一位であった。
日本本土じたい、基本的な食糧を、朝鮮、中国に依存していた。
真珠湾攻撃の前の時点で、日本人が消費する米の三一%、砂糖の九二%、大豆の五八%塩の四五%がこれらの地域からの輸入に頼っていた。日本の敗北によって、こうした食糧の供給は、突然、断たれることになった。
敗戦後、国内では一〇〇〇人以上が餓死したとされる。





Date: 2017.08.15 Category: 立憲主義は政治的でせうか Comments (0) Trackbacks (0)
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