スケッチ  佐野医院 

台湾から帰り、向こうから持ち越した腹痛の為、近所の佐野医院へ。


佐野医院 7/24/2
京都新聞/

鶴見俊輔さんの訃報。



佐野医院 7/24

待合室、前の女の子は熱心にゲームをしている。

〜2009年8月〜 京都ホテルの講演会が鶴見さんとの最初で最後のお出会いだった。



かばん



吉川さんのご主人

前の席、スイス・フランス・イタリア旅行でご一緒した、吉川さんの、ご主人。
車いすで来られた鶴見さんは、壇上に上がると、しゃんとされ、人懐っこい語り口調でユーモアに溢れたお話をされた。

『9条の会』冊子では、政治的なことからではなく、ご自身がアメリカ時代に投獄されたこと、その後、海軍で、連合国でない捕虜を、殺せと命じられ、隣の人が殺すのを見て、反戦活動を自身の体験を出発点としていることなどを語っておられる。
『あなたが子どもだったころ』(河合隼雄対談集)では、名門の家に生まれ、カルモチンを飲んで服毒自殺を図ったことなど、これもユーモアを交えてのお話。よくご自身を「不良」などと言っておられる所が可笑しい。

『日付のある歌』(河野裕子)
「ゲスト、鶴見俊輔先生。前日より山の上ホテルに泊まっておられた。話題変幻自在。ひき出しの多き人なり」の前書きの後の一首、

「 ひき出しに入れある毛玉繰りだす表情のある手、やはらかな手首 」







佐野医院 7/24/3




佐野医院 7/24/4
桃の上のカマキリ






佐野医院 7/24/5
山崎さんの著/BBケント









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Date: 2015.07.25 Category: わたしの部屋 Comments (1) Trackbacks (0)

この記事へのコメント:

森島朋子

Date2015.07.27 (月) 21:41:17

鶴見俊輔さん死去:忘れられぬ「もうろくを盾に戦争反対」

http://mainichi.jp/select/news/20150724k0000e040159000c.html

(毎日新聞 2015年07月24日 )




 ◇「思想の科学」や「べ平連」で戦後思想に深い影響

 鶴見俊輔さんは、名実共に日本を代表する哲学者であり思想家だった。戦後、雑誌「思想の科学」や「べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」などの活動で戦後思想に深い影響を与えた。片や漫画、大衆文化にも目を配り、「日本における正しさとは何か」について、暮らしの場から問い続けた。


 「人間の究極の問題として、自分がまちがっているという可能性は、科学的に考えて排除することはできないというのが、基本的な考え方です」−−。鶴見さんはかつて、べ平連の活動を、「社会主義国家群に対する同伴運動で、自立していない」と厳しく批判した思想家、吉本隆明さん(2012年死去)に対しそう答えている(対談「どこに思想の根拠をおくか」)。人間はしばしば間違う。ただ一つの正解や普遍性を前提にして考え、活動するのは自分にできないといっている。正しいことへの「純粋な心情」が、極端な言動に向かう危うさを冷静に見つめた。

 現代日本の大きな課題を問うと、「ひたすら正解だけをもとめる明治以来の教育制度である」と何回となく返ってきた。祖父が後藤新平、父は鶴見祐輔。共に歴史に名をとどめる政治家の下で不良少年として生きたことを隠さない。戦時中の日本を日米双方の視点から見つめ、優秀とされた官僚的思考の貧しさを照らし出した。


(続く)




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