スケッチ  『あの午後の椅子』 

葡萄 6/25 
葡萄/




伯父さんから本が届く。『あの午後の椅子』感じのいい題と表紙だ。



(引用開始)


「自分に届くことば あなたはどうか」


戦後七〇年いまがもつとも危ふいとわたしは思うがあなたはどうか

権力にはきつと容易く屈するだらう弱きわれゆえいま発言す

反駁(はんばく)より始末に悪い無関心 君らの時代のことだいいのか

先生は元気ですねと目が笑ふ元気で結構 怒れワカモノ

余計なことには関はりたくないといふ意識だれにもあればそれこそ怖い

(最後の三首は新聞より)




この事件を詠うのであれば、その事件が自分という存在のなかの何を決定的に揺さぶったのか、その波長が読者に感じられるような作品であってほしいのだ。(中略)

そしてもう一つ、歌の矛先は権力でも民衆でも社会でもなく、自分自身へこそ向いていなければ、また歌は力を持たないのではないかとも思う。一首の歌を作るということが、常に自らを問い直す契機を内包していること、これはもちろん言うほどに容易いことではない。しかし、少なくとも歌の言葉が先に述べたような、自分という濾過器を通らないような翳りのないものであっては、これもまた迫力を持たないであろう。
先の私の歌で言えば「あなたはどうか」という意識、その中には当然「お前はどうか」という自己への問いも含まれるはずである。
(引用終わり)




戦後70年、日本は海外に派兵しないという一線は、9条の許、ギリギリのラインで保たれてきた。
イラク戦争の後方支援の総括もまだ十分に出来ていないなか、安倍政権は強行採決で無理矢理に今までの方針をひっくり返した。
こうした経過の中に居合わせて、表現者ならば、「一体自分は今、何をどう表現するのか」ということは
誰しもが考えることだと思う。
私は戦争を体験していないが、現在の日本国憲法が数えきれない犠牲の上に生まれたことを思うと、死者との対話を通して
「戦争の放棄」は守っていかねばという責任を感じる。

2014年頃から、海外に出て帰る度に、「もの言えぬ空気」というのが、日常に、はっきりと手触りを持って感じられる様になった。
政権批判する人物は次々にTVから消え、まともに自民党の憲法草案を取り上げるメディアもない。

日本は既に、自国の憲法が変わるかもしれない岐路に、草案さえ国民に知らせられないような国になっているのである。



先日、地元の集会で憲法の「立憲主義」を説明すると、知らないひとがほとんどであった。
自民党の草案では、憲法前文の戦争の反省の部分は消えた。

こんな中での選挙である。

まさに、「あなたはどうか、私はどうか」、の時である。







あの午後の椅子











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Date: 2016.07.07 Category: 木星の端に座って Diary    Comments (0) Trackbacks (0)

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